到时说吧
今日は「到时说吧(dao shi shuo ba)」という中国語について書きたい。「到时」=「その時」 「说吧」=「話すよ」 |
直訳すると、「その時話すよ」という意味で、特に難しい中国語ではない。
では、なぜこの言葉が気になるのか。
なぜなら、中国人の文化や考え方をよく表していると思うからである。
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予定を確定したくない時に使う「到时说吧」
「到时说吧」は、まだ予定を確定したくないことを曖昧にするため、中国人がよく使う言葉である。例えば、こんな感じで使う。
Aさん「今週の金曜日仕事終わった後、打ち上げ計画してるんだけど。どう?みんなで飲みに行かない?」 Bさん「好吧,到时再说吧(いいね、でもその時話そう)」 |
ん?どういうこと?と思うかもしれないが、
「到时说吧」=「その時話そう」という言葉は、
「来週金曜日の夜の予定は今のところ入っていない。でも、他に予定が入るかもしれない。だから、今は決定せずにその時予定がなかったら、また約束しよう。その時また話そう」
という意味。
…つまり、「今はまだ約束できない」と言う事なのだ。
日本人には理解できない感覚?
これは、多くの日本人はには理解できない感覚だろう。職場で打ち上げが計画され、それに誘われているのだ。
日本人の常識では、行くか行かないかは、すぐに返事をするのが当たり前。
その段階で予定が入っていなければ「行く」と返事して、スケジュールに入れるだろうし、予定が入っているか、行きたくなければその段階で断るだろう。
いずれにしても、特別不確定な要素がない限り、どちらかはっきりさせるのが普通だ。
じゃないと、人数が確定しない。店の予約を取ることができないなど、幹事に迷惑をかけるのは目に見えている。
「金曜日、今のところ特に予定ないけど、他の予定が入るかもしれないし、他の友達に誘われるかもしれないし…、だから、今は確約できない。その時暇だったら参加するよ」
なんて日本の職場で言ったら、二度と打ち上げに誘われないかもしれない。
しかし、「到时说吧」はまさにそう言うことなのだ。
きっちり計画を立てるのが当たり前の日本では受け入れがたい言葉であるが、中国では、結構よく聞く言葉なのである。
中国=予定をあまり立てずに臨機応変に対応する文化。日本=事前にきっちり予定を立てる文化
日本人の感覚からすると、中国人は計画性が無く、適当で行き当たりばったりの人が多いように感じるかもしれない。しかし、よく言えば「臨機応変に柔軟な対応ができる」とも言えるのだ。
中国人に言わせると、日本人は何事もきっちりし過ぎていて、息苦しく感じるようである。そして、柔軟性がないので、突発的なことに弱いのである。
「あまり先のことを考えずに、その時、気が向いたら職場のみんなで飲みに行けばいいじゃないか。予定が変わることもあるんだから、その時決めたらいい。」
中国人にそう言われたことがある。
中国人の「到时说吧」を理解しよう
どんな人でも自分の育ったところの文化が当たり前と思うかもしれない。しかし、いろいろな文化や考え方があるのだ。
ほかの国の文化に触れたとき、え?と思うこともあるだろう。
中国にいて、相手が中国人である以上、相手の文化に合わせることが必要だと思う。
中国にいる間は「到时说吧」と言われても良いような柔軟な予定を立てることも必要かもしれない。
※もちろん、中国にも日本にもいろんな人がいる。中国人でもきっちりしている人、日本人でも適当な人もいる。あくまで、そういう人もいる、ということだ。その点、ご理解いただければ幸いである。
中国生活でちょっと気になった中国語をシリーズ記事で書いていきます。過去の記事についてはこちらからどうぞ |
【この記事はここまで】お読みくださりありがとうございます
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この記事へのコメント
WL
bigpaddy
PMZ
これは、「(妻が)その状況のイメージがつかめない時」、「気乗りがしないとき」、「言質を与えたくないとき」などに使われるのではないかと思います。
ここで、「到时再说吧」ではなく明確な回答をすると、さらに反論されたりするのが嫌なのかもしれません。いずれにせよ、提案されたことに「消極的」だという意思表示なのかと思います。
私も時々(妻の)真似して、(妻の意見をやんわり流すときは)「到时再说吧」って言っているような気もしますね・・・。角が立たなくて便利なのかな。
管理人
コメントありがとうございます。
そうですね。“再”を入れた方が自然でよく使うかもしれません。
ありがとうございます!
管理人
コメントありがとうございます。
今思いましたが、日本語でも「行けたら行くわ」みたいな表現ありますね。
管理人
コメントありがとうございます。
そうですね、考えたら日本語でも「行けたら行くわ」みたいな表現ありますね。角を立てないように断る場合ややんわり流すときにも使える言葉なのかもしれません。