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深セン博物館について 目次
【目次】 深セン市、市民中心のそばにある、「深セン博物館(新館)」について書いた記事です。この記事は3ページに分かれています 1、1階の説明(行き方、入場料、開館時間) 2、2階の説明(深センの古代から近代までの歴史) 3、3階の説明(経済特区となってから現在までの発展)→このページ |
3階に上がった
さて、3階に上がってきた。3階から下を見下ろしたところ
すでに、1階と2階の情報量が多く、疲れがたまってきたが、頑張って残りを見よう!
改革解放前の深セン
1978年以前の深センの様子がわかる場所は3階のここ
中国共産党の指導下にあった深センが扱われている。
当時のポスター
当時の家を再現したもの。これでもかなり裕福な家庭だと思う
1970年第の九龍イミグレの様子
当時は九龍にイミグレがあったのか・・。
当時は、香港は深センよりはるかに豊かだったため、こっそり国境を抜けて香港に行く人が後を絶たなかったらしい。
これは香港に行こうとしたが、バレて捕まり、強制送還される家族の写真
すごい表情だ・・。本気の表情なんだろうけど…。
ごめん、この歯の抜け方とか狙い過ぎでしょ!笑ってしまった…^^;
深セン改革開放史展
ここでは、1978年以降の現在の深センに至るまでの歴史が扱われている。場所は3階のここ
鄧小平によって深センが経済特区に据えられ、その後大きく発展を遂げた様子がわかる。
それにしても、1978年か・・本当に最近の出来事だ。
ほんの少しまで深センは漁民が住む小さな村だったのである。
1978年からの歴史が、3編に分かれて展示されている。
第一編 道を切り開く
第一編のタイトルは「杀出一条血路」となっている。これは「困難を取り除き、道を切り開く」という意味である。
今までの経済体制の束縛を脱ぎ捨て、新しい深センにするために道を切り開く必要があったのである。
1978年から1992年までの歴史が扱われている。
深センが経済特区となった
当時の議決文書
深セン市の父、鄧小平
羅湖の開発の様子
第二編 さらに発展の高みへ
経済特区となった深センはさらに発展を進めていった。羅湖にある国贸ビルの建設のようす
当時の様子が再現されている
1881年の建設路。現在の様子とは似ても似つかない・・
現在の建設路
鄧小平の蝋人形
第三編 科学の発展
この頃、「时间就是金钱,效率就是生命」(時は金なり、効率は命なり)という標語が掲げられ、さらに発展が急がれた。この言葉通り、深センは科学技術の分野でも超速の進歩を遂げたのである。
中の様子
深セン湾イミグレ開通の様子。2007年7月1日か・・・最近だ。
どれくらい時間かかる?
さて、これで1階から3階までを見た。長文にお付き合いくださりありがとうございました。
深セン博物館の展示内容が大体わかっていただけたのではないかと思う。
本当にかなり広く、展示品も多い。もしじっくりすべて見て回るとしたら丸一日くらいの時間がかかるだろう。浅く、さらっと見ても数時間はかかるほどだ。
これで本当に無料?とびっくりさせられた。
記事をご覧になるとわかるが、2階と3階部分が深センの歴史を扱っているので、まずは、1階は飛ばして2階から見るといいと思う。じゃないと深センの歴史を見終わるまでに疲れてしまうかもしれない。
2階、3階をまず見て、体力に余裕があれば、1階を最後に見るようにするのがベストだ。
(1階に動物の標本展示があるので、もし子供が一緒なら1階から先に見ても良いと思うが・・。)
とにかく広く、すごい博物館だ。
無料なので、是非行ってみてほしいと思う。
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この記事へのコメント
まさ
今度の土日にでも再訪問してみようと思っています。
いつも興味深い情報をありがとうございます
ペッペケ
コメントありがとうございます!
記事を参考にしてくださり、うれしく思います!
これからもブログをよろしくお願いします!