【1.深センの場所、中国有数の都市なのに知名度がこれほど低いのはどうして?】
※2018年2月7日更新
深センの高層ビル「京基100」と「地王大厦」
「深セン」について知っていること、調べたことを書きたい
「深センってそもそもどんなところ?」そんな質問に答えるため、深センについて私が知っている限りのことを(調べたことも含め)書きたいと思う。
これを読んでいただければ、深センとはどんなところか大体わかっていただけるだろう。(と思う)
「深セン」の場所はここ
まずは、場所だ。香港に接した中国大陸側にある。
香港から国境を越えればすぐのところである。
深セン市のエリア(スクロール可) |
深センにも空港があるが、日本から行くなら、便数の多い香港まで飛行機で飛び、そこからバス、電車を乗り継ぐのがオススメである。
香港空港から深センとの国境まで1時間半くらいあれば行くことができる。
香港空港から深センまで行き方まとめ
スポンサーリンク
日本人に知られていない大都市「深セン」
日本では「深セン」という地名は有名ではない。日本に一時帰国した際、「中国の深セン」という地名を出しても、
「聞いたことない、どこ?そこ?」
とか、
仮に聞いたことがあったとしても、
「あ〜、もしかして、“深“って言う字に、なんかわかりにくい字を使った地名のところ?」
とか言われる。(確かに「深圳」の「圳」の字は日本では使われていないからな…)
「香港に接している中国側の大都市なんですよ」
と言っても
「へぇー」
と、ピンとこない日本人がほとんどである。
深セン市は、誰もが知っている香港に接し、中国本土では人口ランキングで、上海市、北京市、広州市に次ぐ第4の都市、世界ランキングでは15位となっている。
にもかかわらず、日本人による認知度はかなり低く、他の小規模な都市、例えば、武漢市、重慶市、ハルビン市などの方が、むしろ日本人に知られている。
公式には深セン市の人口は1447万(2010年)と発表されている。しかし、実際は住民登録をしていない人、一時的に短期で深センで働く人などもいるため、それらの人を含めると2000万はいるのではないかと言う人もいる。それほどの大都市なのだ。
これほどの規模の都市で、しかも隣国の中国にあることを考えると、日本での知名度は異常なほど低いと言える。
これほど知られていないのはなぜなのだろうか。
深センは歴史が極めて短い
深センの知名度がこれほど低い理由は、他の都市に比べ、歴史が極めて短いからだろう。中国の有名な都市はどれも少なくとも数百年の歴史がある。
つまり、現在生きている人が生まれた時には、これらの都市はすでに現在の規模近い人口を有し、経済や文化を持っていたのである。
だからこれらの都市の名称や情報は、海外の文献や、歴史書、学校の教科書にも出てきた。つまり、認知されやすいのだ。
一方、深セン市は近年急激に人口を増やした都市で、発展が始まってから僅か30年そこそこの歴史しかないのである。
1979年3月までは、このエリアは「宝安県」と呼ばれており、人口僅か30万人の漁民の住む田舎町で、「深セン市」という名称すらなかった。
つい最近まで地元民が暮らしていた
つまり、深セン市という名称ができてから数えても、僅か39年しか経っていないのだ。
1000万単位の人口を抱えた都市の歴史がこれほど浅いのは世界的に見ても他にはないだろう。
翌年の1980年、深セン市の父と呼ばれる鄧小平(とうしょうへい)によって深セン経済特区が指定されたのをきっかけにやっと発展を始めたのである。
鄧小平(とうしょうへい)
1980年代…。
というと本当に最近だと感じる。
ファミコンが発売されたのも1980年代、昭和が終わったのも1980年代だ。
その頃にやっと、深セン市が発展を始めたと考えると、いかに歴史が短いかがわかるだろう。
当然、今働き盛りの人たちが学校に通っていた時に今の姿の深センは存在せず、世界地理の教科書で取り上げられることはなかったし、歴史的な観光名所も無いため、観光客もあまり多くない。
深センの知名度が他の都市に比べ、はるかに低いのも頷ける。
次のページでは、深セン市の超速の発展について書きたいと思う。
【この記事はここまで】
次は→2. 超速の変化を遂げる街深セン、地下鉄の建設速度もすごい
スポンサーリンク
この記事へのコメント