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車の車線の右側と左側
今日は車の走行車線の話だ。日本の車は左側通行である。香港も同じ左側通行であるが、国境を越えて中国本土の深センに入ると右側通行になる。
中国に来た頃はバスに乗るときに、バス停が向かう方向と日本と逆なので、道路の向かいに渡ってしまったりしたのを覚えている。今はもう慣れたが…(^^;
きっとこれは日本人が右車線の国に行った時あるあるだと思う。
ところで、日本、香港、中国の、右側通行、左側通行はどのように決められたのかご存じだろうか。
世界で多数派の右側通行を採用した中国
実は、日本や香港のような左側通行の国は少なく、世界の多くの国は右側通行なのである。左側通行なのはイギリス、アフリカの南地域の数か国、インド、東南アジア、オーストラリアくらいしかない。あとは全部右側通行だ。
つまり、左側通行の日本や香港は世界的に見ると少数派で、右側通行の中国は世界の多くの人から見れば普通ということになる。
中国の右側通行は世界の多数派にならったのである。
では、日本や香港はどうして左側通行を採用したのだろうか。
香港はイギリス植民地だったから
香港が左側通行なのはどうしてか?答えは簡単、1997年までイギリス植民地だったからである。イギリスはローマ法王の命令で左側通行になったと言われ、その統治下、植民地であった国の多くは左側通行に変更させられたのだ。
インド、マレーシア、オーストラリアなども左側通行だが、これらの国も香港と同じくイギリス植民地だったからである。
日本が左側通行な独特な理由
では、イギリスの影響を受けていない日本がなぜ左側通行を採用しているのだろうか。それには、日本独特の理由、”江戸時代の武士の刀”が関係していると言われている。
え?なぜ刀が左側通行と関係あるの?
それだけ聞くとそう思うかもしれないが、当時の様子を思い浮かべると納得できる。
武士は腰の左側に刀をさしていたようである。では、その状態で狭い道を右側を歩いてすれ違うとどうなるだろうか?
そう。向かい側から来た人の刀とぶつかってしまう。それで、江戸時代の武士は腰にさした刀のため、道路の左側を歩くようになったのだ。
それがいつしか日本では左側通行が常識となり、その時の習慣がそのまま車社会現代まで来てしまったと言われているのだ。
へぇぇ、、日本の左側通行のルーツが、江戸時代にあったのか。
なかなか面白いと思った。
※なお、これについては諸説あるそうである。上記したのはあくまでそのうちの一説であることをご理解いただきたい。
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